大阪芸術大学 映像学科在学中に自主映画製作で注目され、これまでに数多くのミュージシャンやストリートダンサーをモチーフとした映画、ドラマ、ドキュメンタリー、ライブ映像などを手掛けてきた映画監督、小松莊一良(こまつ そういちろう)さん。ここでは、ズーム製品のヘビーユーザーでもある小松さんに、自身が映画監督を志したきっかけやクリエイターとしてのこだわり、フジコ・ヘミングさんをフィーチャーしたドキュメンタリー作品におけるズーム製品の活用法などをじっくりとお聞きしました。2024年10月18日に公開される最新映画「恋するピアニスト フジコ・ヘミング」の制作秘話は必見です。

自身の経歴について

──小松さんが映画監督を志したきっかけについて教えて頂けますか。

僕は高校で器械体操部だったんですけど、運動部とクラスの仲間を集めて「8ミリ映画」を作ったんですね。ちょうど学校に機材があったので、見よう見まねで1時間半くらいのドラマを、好きな音楽を入れて。で、それが学校で受けたんですよ。それでその後、初めて出した映画祭で1番を頂いたんですよ。それからですね、本格的に映像の世界に入ってみようと決心したのは。

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──映像はどのように学ばれたのですか?

大阪芸術大学の映像学科に入学して本格的に映像制作に向き合いました。受験番号は1番でした(笑)。 学校外でも同じような自主映画監督出身の監督さんたちの関連本を読み漁ったり、トークショーやイベントに出向いてお話を聞いて質問したりしていました。とにかくどうやったら映画監督になれるか分からなかったので、仕組みを知るのに一生懸命でした。それで作った作品を片っ端からコンテストに出して、入賞すれば褒めてくれる審査員や関係者と知り合いになれたので、そうやって人脈を作って次のステップを目指して行動していきました。

──当時の作風というのは?

今もそれを目指しているようなところがあるんですが、当初から僕はかなりの異端児だったと思います。あの頃は今のように音楽やダンスに関して、映画界の人はまともに見ようとしなかったんです。でも、東映ビデオが“東映Vシネマ”というブランドを作って「邦画ではできないこだわりの新しい作品を作ろう!」というムーブメントを起こしていたので、東映ビデオの若いプロデューサーと一緒になって2年かけて企画を成立させ、ミュージシャンやストリートダンサーをキャスティングしたダンスアクション映画を作ったんです。当時のラインナップの中では監督としては最年少だったので、色々風変わりなプロモーションも行いました。

吉川晃司さんとの初のドキュメンタリー

──それから色々なミュージシャンと出会っていくわけですね。

はい。30代から40代にかけて、映画だけでなくミュージックビデオやライブ映像、ドキュメンタリーなども手掛けるようになって、それまでに出会わなかった世界の人にも出会うようになりました。そして、その中でも大きな変換点になったのはロックミュージシャン・吉川晃司さんとの作品で、1999年から2000年にかけて撮った「HOT ROD MAN DOCUMENT」というドキュメンタリー作品です。

──吉川さんとはどのようにコンタクトを?

同世代で同じ広島の出身ということで、デビューの頃から大変興味がありました。元々はあるドラマのキャスティングで本人にダメ元でオファーに行ったのですが、以前から僕の存在を知っていてくれたようで、マネージャーさんから「吉川初のドキュメンタリーを撮ってみませんか?」と逆にオファーをされて。しかも、撮影はマネージャーを介さずに「2人きりで」という、当時の彼としてはかなり攻めた企画が始まったんです。

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──2人きりですか?

そうなんですよ。9ヶ月間、30代の男が2人きりで撮ったんです。僕も当時は枠をはみ出したいと鼻息が荒かったんで、最初はコンサート会場のトイレにまでくっついて行って(笑)。彼も独立して現状打破に奮闘していた時期だったし、元来食事の好みも正反対だったりしたんで、本当によくぶつかったんです。でも撮影の終盤に、二人でドライブに出かけて山に登った時に「お互いに心がスッと交流する」瞬間があって、大きく関係が変化したんです。山の頂上から降りてくる時だったんですが、すでにあたりは暗くなってて、僕は側溝がある道がよく見えなくて、吉川くんに「溝が見える?」って聞いたんです。そしたら「腕つかみんさいよ」って。それで男2人で腕組みながら歩いて降りてきたんです。

──吉川さん優しいですね。

そういう素の部分がチャーミングだと感じたんで、出来上がった作品にはカッコいいロックスターの姿だけじゃなくて、そういった彼のやさしい素の部分や、根っこの反骨精神なども赤裸々に感じさせるようなストーリーで構成しました。彼はそれまでどちらかというと無口でクールなイメージだったのですが、それからは表舞台でも人懐っこく広島弁でよく喋るようになって、チャーミングな部分も認識されて世間を驚かせました。今も交流が続いているのはあの山登りの瞬間まで、お互い本音でぶつかりあったからだと思っています。大スターの彼との出会いが「被写体に対してどう立ち向かうか」、「機材を感じさせないで、日常に溶け込む接し方」っていう、今の僕のドキュメンタリーの撮り方のスタイルを作ったきっかけにもなりました。

──具体的にはどのような撮り方になっていったのでしょうか。

一言でいえば「構えて撮らない」ということです。撮られる側もカメラを構えると構えちゃうんです。ずっとカメラが置いてあったら気にならなくなるから、素や本音の部分が出てくる。カメラを意識しないところに本当の姿が見えてくると思うんで、あとはその人のどの部分に興味を持って切り込んでいけるかという話になります。

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クリエイターとしてのこだわり

──小松さんがクリエイターとして特に意識している点を教えてください。

僕がモチーフにしているのはミュージシャンやダンサーなので、少し特殊かもしれませんが2つ程あって、1つは「被写体となる表現者の世界観を構築すること」。ドキュメンタリーとは言えどんなにリアルであってもその人の世界感を構築できなければ、観客はエンタテインメントの作品として楽しめないと思っています。そういう点ではジャーナリストの方たちとはスタンスが大きく違います。そして、もう1つ意識しているのは「撮影機材、ハードウェアの使い方」ですね。昔と違って今はデジタルの時代になったので、プロとアマチュアの機材はほぼ同一になったと言ってもいいかと思いますが、だからこそただ普通に撮るということに疑問を持つようにしていて「どういう視点の映像で伝えたいか」「どういう音の空気で伝えたいか」を考えながらやっています。

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フジコ・ヘミングさんとの出会い

──小松さんがフジコ・ヘミングさんを撮ることになった経緯について教えてください。

もともと、フジコさんを最初にフィーチャーした番組をリアルタイムで見ていて、個人的にすごく興味を持っていたんです。で、僕自身があるテレビ番組のミニ・ドキュメンタリーを撮る事になって「誰を撮影しようか?」ってなった時に、ちょうどフジコさんがツアーをやられていて。それでぜひ話を聞いてみたいってアプローチをして会いにいったんです。

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フジコ・ヘミングさんと小松さん

──最初に会った時の印象はどうでしたか?

想像していた姿と違って、厳しくて恐い人かなと思っていたらかなりチャーミンな印象で、ピアニストとしてはストイックでありながらも、純粋な少女のような心の人で大いに興味を惹かれました。ただ、世間に見出されてから14年経って今では世界を飛び回っている人気アーティストなのに、テレビでは相変わらず最初の苦労話が繰り返されていたんです。でもそんな昔話より、僕の目の前にいるフジコさんは新しい夢に向かって走ってキラキラしている。その姿を伝えたかったのですが当時の番組ではそんな事は求められなかったので、いつか機会があったらフジコさんの本来の姿を撮りたいなと、そう思ってたんです。

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──では、すぐに映画の話を?

いえ、まだです。その後もフジコさんが日本に戻ってきた時に、時々お茶に誘われて旅の土産話を聞くのが何年か続いてたんです。で、ある年に「来年、南米ツアーに行くのよ」って話が出て。北米とかヨーロッパでツアーをしているのは聞いていたのですが、「南米でやるってどんな感じなんだろう?」ってすごく興味がわいて。最終的には映画撮影としてツアーに同行することにしました。見切り発車だったので資金集めをしながらの自主制作になることは覚悟しました。

──撮影機材はどのようのものを用意されたのですか?

とりあえず中古でカメラを揃えて、あと大事なのは音ですよね。そこで僕が当時選んだのがズーム「H6」「H5」「H1」だったんです。そして、このズーム製品が本当に僕の背中を押してくれました。

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H5

──どんな点が良かったのでしょうか?

音に関しての安心感ですね。ズーム製品がなかったらビデオカメラだけでやることになったと思うんですが、ミュージシャンを撮るにはそれだけだとやっぱり足りないんですよ。特にピアノのようなアコースティックな楽器だとPAがないので、ピアノの下とかちょっと離れたところとか色んなところから音を録っておきたい。ズーム製品なら音はいいし、操作も録音ボタンを押しておけばオート録音やバックアップ機能もあるので、基本的にはそのままにしておけばだいたい問題ないですし。あの時は妻とたった2人の撮影隊でしたけど、まさに機材が我々を助けてくれました。

──そのツアーが元でできた映画が『フジコ・ヘミングの時間(2018年6月公開)』というわけですね。

はい。妻と2人で北米と南米ツアーを回って帰って来て、その時の映像を資料にして資金集めに奔走しました。その後、制作会社も決まって今度はヨーロッパロケに向かうんですが、撮影クルーも最少人数にしたかったので、録音は監督の僕が担当しました。僕はドキュメンタリーの撮影でブームマイクを使うのが嫌いなんです。被写体に撮影を意識させてしまうからなんですが。だからこの時もワイヤレスマイクをフジコさんに付けて、受信機を「H6」や「F8n」で受けて、それらの機材を僕のダウンコートの下に仕込んで目立たないようにして撮影しました。ズーム機材がコンパクトで電源も長く持つのでできる芸当です。その身軽さのおかげでフランス〜ドイツ間を一緒に列車で回ったり、同行したフジコさんの愛犬の世話も出来たりと、何気ない貴重な時間をたっぷりと撮影することができました。満員のローカル電車では、テーブルにポンと置いたカメラが付いた「Q2n(Q2n-4Kの前モデル)」が素晴らしいシーンを捉え、本編でも採用されました。そして、そのコンセプトや手法は最新作の『恋するピアニスト フジコ・ヘミング(2024年10月公開)』にもつながっていきます。

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映画『恋するピアニスト フジコ・ヘミング』に関して

──『恋するピアニスト フジコ・ヘミング』で使用した機材について教えてください。

今回の映画では、基本的に僕自身がカメラをまわすフジコさんとの「1対1の撮影」、僕以外のカメラマンや録音部もいる数名での「ENG体制での撮影」、中継技術を使った100人体制で臨む「ライブシューティング」の3つの撮影形態があったのですが、「1対1の撮影」や「ENG体制での撮影」では必ずと言っていいくらい「Q2n-4K」を映像と音のバックアップとして、テーブルの上のインテリアに紛らせて使いました。で、音声の収録という点では「Q2n-4K」とは別に「H3-VR」も併用しました。

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Q2n-4K

──「H3-VR」を併用された理由というのは?

これは録音と整音を担当している井筒康仁さんからの指示もあったんですが、「H3-VR」で録っておけば、カメラのアングルに合わせた時に位相の問題を気にしなくていいからです。フジコさんとの撮影で「Q2n-4K」はかなり自由に置いて収録していたので、何かあった時に対応できる「H3-VR」でも確実に録っておこうと。ちなみに「H3-VR」は「ENG体制での撮影」や「ライブシューティング」でもバイノーラル方式で収録して利用しています。

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H3-VR

──バイノーラル方式を採用されたんですね。

はい。これはサウンド・エンジニアの坂元達也さんがやっていたんですが、色々なレコーディング用のマイクを立てつつ、バイノーラルでも録っておくスタイルですね。以前、彼が現場で耳の形のバイノーラルマイクを使っているのを見たことがあったんですが、次に見た時に「H3-VR」に代わっていたんですよ。それで「なんでですか?」って聞いたらニヤリとして「だって、いいんだもん」って言ってました(笑)。今回の映画やオリジナルサウンド・トラックのCDでは、フジコさんの演奏を様々なマイクで録っているのですが、坂本さんがミックスした音声素材の中には間違いなく「H3-VR」の音が入っていると思います。

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──映画の冒頭に出てくる、フジコさんへのインタビューシーンで使われたZOOMロゴの入ったショットガンマイクも気になりましたが。

あれはハンディレコーダー「H6」とステレオショットガンマイク「SSH-6」ですね。2020年の6月頃、緊急事態宣言が開けたコロナ禍での撮影シーンです。この頃は「ピンマイクによる本人との接触を避けよう」と考えていて、あのようなスタイルになったのですが、実はこういったガンマイクが映り込むようなやり方は60年代のドキュメンタリーフィルムにも結構あって。それが意外とカッコいいなと思っていたんです。ただショットガンマイクに関しては、その後は32bitフロートの「M3」に変わりました。

──どのようなシーンで「M3」を使われたのでしょうか?

フジコさんとの「1対1」もそうですし、僕以外のカメラマンが「ENGで撮影する時」も必ずカメラの上に「M3」を付けていました。「M3」はステレオでノイズが少ないし、本体に録音もできるので、カメラ側のマイクをバックアップとして使用できます。32bitフロート対応でマイクも音圧に耐えられるので、音楽にも強い。しかも軽い。特にカメラに取り付けるショックマウントと取り付けネジがいいですね。以前よりも格段に取れにくくなったので、階段を走って駆け下りても外れない安心感があります。ゲージやリグに縦にも横にも自由にマウントできるし。極論、この万能マイクレコーダーとカメラさえあればドキュメンタリーは録れると思いますよ。ちなみに、フジコさん本人によるTV-CMのナレーションも、その場で「M3」でサクッと撮りました。

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M3

──それは大変な褒め言葉ですね。ありがとうございます。

ドキュメンタリーや映画ってとても空気感が大事で、そのためには鳥の音とか道路の音とか、エアーノイズが重要なんです。そして、そういった時に「M3」のようなステレオマイクが絶対に役に立つんですよ。なので、カメラマンだけでなく、僕もハンドグリップを付けた「M3」を録音用のレコーダーとして持ち歩いて、街の音などを収録するのに使っていました。

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M3を使った撮影の様子

──では、あらためて『恋するピアニスト フジコ・ヘミング』の見どころを教えてください。

フジコさんは唯一無二のピアニストであり、その音色やスタイルに世界中の観客が癒やされています。彼女が憧れる1920〜30年代のやロマンティックでノスタルジックなサウンドは、その生き様から生まれてくるように思います。ハーフへの差別だとか、貧困だとか、難聴だとか、そういった不幸な時代や戦争を体験して、コロナも体験して、でも未来を夢見て自分らしさを貫いている。映画のドキュメンタリーとして、ダイナミックな演奏シーンはもちろん、人物像や海外でのライフスタイルもしっかりと捉えたつもりなので、世代を越えて楽しんで頂けると思います。

──たしかに、フジコさんの音楽だけでなく、日常もよくわかりました。

はい。自分の好きなものを集めて、その中で幸せに暮らしていくというフジコさんのライフスタイル。動物だったり、他人にはガラクタに見えるかもしれない昔から大事にしている物や写真だったり、そういうものに囲まれて暮らしている姿は、多くの方の生きるヒントになるかと思います。フジコさんは天に召されましたが、寂しいけれど悲しい作品ではなく、明日へ前向きに生きていけるような作品にしました。そういったことが、フジコさんの願いだったような気がしています。

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最後に、映像クリエイターを目指す方にメッセージをお願いします。

今回のインタビューでもお答えした通り、プロとアマチュアの機材はほぼ同じになったと言ってもいいと思います。あとはどんな内容にするのか、どんな自分だけの目線で切り込むのか、そんな初期衝動をきっかけに、どうやって1歩として踏み出すのかが重要。それが素晴らしければどんどん世界に広がっていける環境にあるのが、今の時代なんだと思います。

スタートを切る時ってみんな不安だと思うんですが、どうしても撮りたいという思いを応援してくれるのがカメラだったり、音響機器なんですね。ズーム製品は若い人にも手の届く価格帯で、堅牢で、簡単で、ハイレゾで音が良い。何というか、クリエイターを孤独にしない機材だと思うんです。「映像クリエイターが一歩を踏み出す時にズームが助けになる」と思います。

こまつ そういちろう映画監督、企画演出
小松莊一良

小松莊一良(こまつ そういちろう)

映画監督、企画演出

12月7日 ロサンゼルス生まれ。広島県呉市で育つ。大阪芸術大学 映像学科在学中に自主映画製作で注目され、日本初のダンスアクション『Heart Breaker』(1992年、東映Vシネマ)で監督デビュー。異例のロングランヒットしたドキュメンタリー映画『フジコ・ヘミングの時間』(2018年/日活)に続き、映画「恋するピアニスト フジコ・ヘミング」(2024年/東映ビデオ, WOWOWエンタテインメント)が2024年10月18日より新宿ピカデリーほかで全国ロードショー予定。

ミュージシャンやストリートダンサーをモチーフとし、映画、ドラマ、ドキュメンタリー、MV、CM、ライブ映像、ステージなどを監督。これまでに、吉川晃司、HYDE、東京スカパラダイスオーケストラ、DA PUMP、氣志團万博、手嶌葵、藤あや子、ケイティ・ペリー、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブなどの作品を多数手掛ける。2018年、音楽映像史上初の記録的ヒットとなった安室奈美恵の引退ライブ作品の監督に抜擢。2024年、WOWOWで世界配信された、新しい学校のリーダーズの初武道館ライブ映像を監督し、第14回オリジナル番組アワードにて総合グランプリと中継部門・最優秀賞の2冠を受賞。母校の大阪芸術大学 映像学科で客員教授も務める。

10月18日全国公開 映画『恋するピアニスト フジコ・ヘミング』

『恋するピアニスト フジコ・ヘミング』 オリジナル・サウンドトラック~COLORS2

ユニバーサルミュージックにて発売中